カテゴリ /建築図面
題名
皇居(明治宮殿)造営「建白書」  
コウキョ メイジ キュウデン ゾウエイ ケンパクショ  
「建白書」)「十二年四月十一日 四等技手 立川知方 平岡営繕局長殿」  
家名・人名 木子清敬(明治宮殿)
体裁 文書
数量 7枚
大きさ(cm) 27.0×20.0cm
作成年 明治12年 4月11日
資料解説 2015文化財ウィーク『江戸城から明治宮殿へ』図録p.15「展示した箇所には、以下のような文章が見られます。(左頁3行目から)「 ・・・外国建築師は其の技に熟達の人かと存じ候えば左様にもこれ無く、実地の事に付ては悉皆私共矩術の力を借り、自身は徒づらに口頭を以て不急の談を論弁致し候のみ、しかのみならず私共矩術修業仕り候に、中に七八年の事にて奥義を極め候事は相成り難く、修身の稽古にて老年に及び初めて自得の域に至り候義にこれ有り、欧州の建築学は如何なる早手廻しの法に候哉存ぜず候えども、僅かに五六年の修行にて是程の大廈築造を引き受け候事、何とも以て意に落ちざるの次第、随て右様口頭のみにて実地不鍛錬の教師も出来候義と存じ奉り候、実に箇様の者をお雇い(以下次頁)入れに相成り候は、徒づらに御国の御損耗のみならず、外国の物笑いにも相成るべく、呉々も悲歎に堪えず遺憾千万に存じ奉り候」この建白書は、宮内庁書陵部が所蔵する明治宮殿造営の公式記録『皇居御造営誌』に収録され、従来『明治工業史 建築篇』や『東京市史稿 皇城篇 第四』に採録されて流布していますが、そこには当館の資料に見られる上記の文の一部だけが収録されています。明治12年(1879)、赤坂仮皇居に建設中の洋風石造謁見所・会食堂が地震のため工事中止に至ると、工部省営繕局長の平岡通義は、石造・木造両建築の利害について部下に意見の提出を求めました。後に明治宮殿の造営にも参加する建築士の立川知方は、この資料において、石造は耐震性を欠くため、木造にすべしとの意見を上申しています。翌年1月、工事を中止した謁見所・会食堂を旧西丸跡に移築し、山里(旧西丸御殿の奥庭)には新たに和風様式で建築することが決定され、いよいよ皇居造営の計画が動き始めました。(A Report on the Construction of the Meiji Palace)In the 12th year of the Meiji Period, an earthquake caused cracks in the Western-style stone State Room and Dining Hall under construction, leading to vigorous debate on the relative merits of stone and wooden buildings. The architect Tatekawa Tomokata, who later participated in the construction of the Meiji Palace, advocated wooden buildings, due to stone's poor earthquake resistance.」
分類 「門 懸魚 蟇股 工程表 其他雑書」/「工程表 其他雑書」///
文庫名 木子文庫
請求記号 木119-3-1/木119-3-001
資料コード 4300086996
製作者 東京都立図書館
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本資料のURL

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