資料解説
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2021文化財ウィーク電子展示資料解説p.1(1)「嘉永6年(1853) 6月、アメリカ合衆国のインド艦隊司令長官マシュー・ペリーは日本の開国を求めて、軍艦4隻を率いて浦賀に来航しました。幕府は浦賀の隣村の久里浜の応接所で国書を受理しました。その時の上陸の様子を描いた図です。蒸気船からさかんに蒸気が上がる様子や警備にあたる会津藩や忍藩などの旗印が描かれています。図の上部には蒸気船の大きさや警備の概要も記載されています。 (Americans Landing at Kurihama)In June 1853, Commodore Matthew Perry arrived at Uraga with his four warships, seeking the opening of Japan to the outside world. Perry presented the diplomatic papers from the U.S. President. It was at the village of Kurihama, adjacent to Uraga, that Shogunate officials received the diplomatic papers. This is an illustration of the landing at Kurihama. Perry's steamships can be seen, along with the banners of the Aizu domain and others deployed for security purposes. The text above the illustration describes the size of the steamships and outlines the security measures.」,文化財ウィーク2010『黒船が来た!』図録解説p.5「嘉永6年(1853)6月、幕府はアメリカ側と交渉 の結果、久里浜に設けた応接所でアメリカ大統領の 親書を受理することになった。本図はその時の久里 浜の様子を描いたもので、警備を担当した会津・彦 根・川越・忍の各藩の人員や蒸気船の概要が記され ている。」/『第3回江戸資料展』図録解説p.5「米国船が嘉永7年(安政元年)再び来航し、乗組員が上陸、これに対する会津・彦根・川越・忍の各藩の応接の大概を写生した図。」
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