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題名
関東類焼大地震  
カントウ ルイショウ オオ ジシン  
御救小屋三ケ所浅草広小路深川海辺大工町幸橋御見附外  
オ スクイ ゴヤ サンカショ アサクサ ヒロコウジ フカガワ ウミベ ダイク マチ サイワイバシ オ ミツケ ソト  
出版年・書写年 [安政2年(1855)10月頃]
大きさ(cm) (縦×横)(本体)38×77.5cm (台紙)41×93cm
形状 一枚もの
内容 かわら版(瓦版)
災害種別 地震
災害名称 安政の大地震(1855年)
災害年代 江戸
書誌注記 ;;;;;;;;;;;|//////////////|/
資料解説 2021文化財ウィーク電子展示資料解説p.8(22)「安政地震直後に出版された瓦版です。御救小屋(おすくいごや)はまず、浅草広小路、深川海辺大工町、幸橋御見付外の3ヶ所に設置されたことが記され、右には御救小屋の場所と被災状況を町ごとに詳しく伝え、地震で倒壊した建物と火災に逃げまどう人々の様子を描いています。炎の色など、版彩ではなく後から筆彩色を施しています。「御救小屋」とは、災害を速報する瓦版の多くに使われる言葉で、瓦版は人々にとって重要な情報源でした。(Great Earthquake and Fires in Kanto)This is a kawaraban news-sheet printed immediately after the Ansei Earthquake, outlining the establishment of temporary relief shelters known as osukui goya. The right side provides detailed information on the location of osukui goya and the damage suffered district by district, as well as depicting buildings that collapsed in the earthquake and people fleeing the fires. Osukui goya were often mentioned in kawaraban news-sheet reports on the disaster.Kawaraban served an important information source for the public.」,2018文化財ウィーク展示資料解説p.9(44)「安政2年(1855)10月2日夜10時頃、江戸は荒川河口を震源とする震度6(マグニチュード6.9)と推定される大きな地震に襲われました。中央から左に地震で倒壊した建物と火災に逃げまどう人々の様子を描き、右には被災状況を町ごとに詳しく伝えています。表題の横にあるように、幕府の御救(おすくい)小屋(ごや)はまず、浅草広小路(あさくさひろこうじ)、深川海辺大工町(ふかがわうみべだいくちょう)、幸橋御見付外(さいわいばしおみつけそと)の3ヶ所に設置されました。炎の色などは版彩ではなく、後から手彩色を施しています。(Spreading Fires during the Great Kantō Earthquake)Around 10 p.m. on October 2, 1855, Edo was struck by a major earthquake estimated to be of seismic intensity 6 on the Japanese scale (magnitude 6.9). The picture on the left shows buildings that collapsed during the earthquake, with people running away from fires, while on the right is a detailed description of the conditions in each town.」,大規模企画展2011(28)「安政の大地震が起きた時に刷られた瓦版です。 安政2年(1855)10月2日夜10時頃、江戸は荒川河口を震源とする震度6(マグニチュード6.9)と推定される大きな地震に襲われました。家々は倒壊し、数十ケ所から火災が発生し広がりました。震災直後の大混乱が一応おさまると、焼失地域や被害状況を示した簡単な印刷物が大量に発行されました。当図は、右側に各町の被害状況を示し、左には倒壊し火を噴く家々を描いています」,2007文化財ウィーク(28)「中央から左に地震で倒壊した建物と火災に逃げまどう人々の様子を描き、右には被災状況を町ごとに詳しく伝えている。表題の横にあるように、幕府の御救小屋はまず、浅草広小路、深川海辺大工町、幸橋御見付外の3ヶ所に設置された。炎の色などは、版彩ではなく後からの手彩色である。」,『近代日本の夜明け』図録解説p.9「安政2年10月2日の夜10時頃、江戸は大地震に襲われた。推定マグニチュード6.9、いわゆる直下型で、木と紙でできた家々は倒壊し、市中10ヶ所から火災が発生し広がった。正確な死傷者数は不明であるが、町方の死者だけでも4,000人を超えたという。震災直後の大混乱が一応おさまると、焼失地域や被害情況を示した簡単な刷物が多量に発行された。その多くは、画工名も出版の検印もない即製で、災害後の混乱の中、人々がいかに情報を求めていたかを窺い知ることができる。この絵は、右側に被災者救済のための小屋の場所、各町毎の被害情況をやゝ詳しく示し、左に倒壊し火を吹く家々を描いている。炎の色などは、版彩ではなく後からの手彩色である。」,1977第3回『目で見る安政大地震』展観目録p.1「人々の火に逃げ迷う様子と恐ろしさがよく表現されている。説明文の上部には御救小屋三ケ所とあるのが他のものと異なる。」,『第1回江戸資料展』図録解説p.30「東都地震記に被害の詳細はあるが、本図は被害の概要と、火災のようすを組合わせた瓦版(速報版)である。」,『古書錦絵展』図録解説p.17「余震にゆれ、猛火につつまれた町筋を必死で逃げまどう人々の姿を画いたもので、その説明には、江戸の被害情況を略説している。」
分類 一般/江戸/災異-地震/安政2年/
文庫名 東京誌料
請求記号 0277-C56/東C0277-C056
資料コード 4300328818
製作者 東京都立図書館
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