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カテゴリ
/江戸図
題名
小石川谷中本郷絵図
コイシカワ ヤナカ ホンゴウ エズ
(題簽)本郷湯島繪圖 全
編者等
戸松昌訓図
版元
[金鱗堂]尾張屋清七
出版年
安政4[1857]改
大きさ
46.2×49.4cm
シリーズ名
[尾張屋板切絵図 21]
シリーズ名カナ
オワリヤバン キリエズ 21
江戸図種別
切絵図
書誌注記
木版 色刷;;;;;;;;;;;|//////////////|/
資料解説
2014文化財ウィークリーフレットp.11「寛政9年(1797)以降、昌平坂学問所には敷地の西南角と東北角に教官住宅が設けられ、その時々の幕府儒者の役宅としていました。この切絵図んお左下に描かれた「聖堂」の付近には、当時幕府の儒者を務めていた[佐藤一斎」と、その門人「安積艮斎」の名前が確認できます。」,2011-2大規模企画展『江戸の町づくり』リーフレットp.13「現在の文京区小石川、本郷、湯島、根津、台東区谷中あたりの絵図です。左右に延びている道は中山道で、左下の「聖堂」は旗本、御家人の子弟の教育施設昌平坂学問所(昌平黌)です。明暦の大火(明暦3[1657])は、加賀藩の上屋敷(「加賀中納言殿」)と中山道をはさんで反対側の本妙寺(ほんみょうじ)から出火しました。初版は嘉永6年(1853)で、安政4年、万延2年(1861)の改訂版があります。」,2010文化財ウィーク『黒船が来た!』図録解説p.15「嘉永6年(1853)、幕府は、御台場に備える大砲の製造 を御台場造営の発案者である江川太郎左衛門に命じ、湯 島に「大筒鋳立場」を設けた。大砲の製造は、江川の指 導の下、民間の鋳物師によって行なわれた。 本図の左下部の湯島聖堂の横に「江川太郎左衛門御鉄 炮鋳場」と記されている。現在の東京医科歯科大学の辺 りである。」
分類
一般/各区/本郷、小石川(第四大区)//
文庫名
東京誌料
請求記号
045-17/東045-017
資料コード
4300036260
製作者
東京都立図書館
画像の使用条件
パブリックドメイン (詳しくは「
画像の使用について
」を参照)
本資料のURL
/da/detail?tilcod=0000000013-00042330
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