カテゴリ
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/江戸図
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題名
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芝三田二本榎高輪辺絵図
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シバ ミタ ニホンエノキ タカナワ アタリ エズ
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(題簽)芝高輪邊繪圖 全
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編者等
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景山致恭著
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版元
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[金鱗堂]尾張屋清七
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出版年
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嘉永3[1850]
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大きさ
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34.7×69.0cm
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シリーズ名
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[尾張屋板切絵図 8]
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シリーズ名カナ
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オワリヤバン キリエズ 8
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江戸図種別
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切絵図
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書誌注記
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木版 色刷;;;;;;;;;;;|//////////////|/
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資料解説
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2018文化財ウィーク(59)「収図範囲は、現在の港区(三田、芝、白金、高輪)、品川区(北品川、大崎、五反田)あたりの絵図です。金杉橋(かなすぎばし)から品川宿(しながわじゅく)にいたる東海道とその周辺地域です。大名の中屋敷や下屋敷、寺院の多い地域で丸に十の字が島津家(薩摩藩)の家紋ですが、南の東海道沿いの海側に薩摩藩の下屋敷(蔵屋敷)があり、西郷隆盛と勝海舟の江戸城無血開城に関する会談は、ここで行われたとされています。(Zonal Map of Shiba-Mita-Nihonenoki-Takanawa)This map covers the area around the current Minato Ward, Shinagawa Ward. On the seaward side of Tōkaidō Road to the south was the Satsuma Domain villa (domain storehouse), where the meeting on the bloodless surrender of Edo Castle was held between Saigō Takamori and Katsu Kaishū.」,2011-2大規模企画展『江戸の町づくり』リーフレットp.11「現在の港区三田、芝、白金、高輪、品川区北品川、大崎、五反田あたりの切絵図です。金杉橋から品川宿(しながわじゅく)にいたる東海道とその周辺の地域です。大名の中屋敷や下屋敷、寺院の多い地域でした。寺院はほとんどが明暦の大火(明暦3[1657])後、幕府によって八丁堀から移転をさせられた寺院だったということです。 嘉永3年から文久元年(1862)の間に4版11種が出版されていますが、武家地が少ないため、内容の変更は少ないようです。」
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分類
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一般/各区/芝、麻布(第ニ大区)/芝/
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文庫名
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東京誌料
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請求記号
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0431-12エ/東0431-012エ
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資料コード
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4300035745
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製作者
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東京都立図書館
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画像の使用条件
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パブリックドメイン
(詳しくは「画像の使用について」を参照)
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