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カテゴリ
/和漢書
書名
漂流記
ヒョウリュウキ
;;
,,
著者
彦蔵∥著
,,,
出版年・書写年
文久3年序
巻冊
;;1冊
大きさ(cm)
cm
和漢書種別
その他
分類
文学、語学/小説/史伝/読本、実録物、怪談本///
書誌注記
公開画像、コマ№146-236と146-237の間のコマ(67ウにあたる箇所)に撮影漏れあり;;;整版;;;;;;;;|//////////////|/新日本古典籍総合データベース書誌ID100213851
資料解説
『江戸の旅』図録解説p.15「万次郎帰国の前年、嘉永3年にアメリカに渡ったジョセフ彦の漂流記。序に「播州彦蔵しるす」とある播州浜田村の百姓の息子彦太郎、当時13才。灘大石村の松屋所有の樽廻船栄力丸に便乗して江戸見物をした帰途の十月晦日、紀伊半島沖で北西季節風に吹き流され、五十日余の漂流の後、南鳥島付近でアメリカ商船オークランド号に救助されサンフランシスコに入港。出陳の図は、嘉永4年正月24日(1851年2月2日)にサンフランシスコに上陸した彦太郎と街の賑わいとを描く。「酒店にて婦初対図」に、大きなアメリカ人に囲まれたチョンマゲ姿の少年の姿がある。アメリカで教育を受け、1858年、18才で受洗、帰化してアメリカ市民Joseph Hecoとなる。翌年、帰国の途次、上海で米公使ハリスに会って領事館付通訳に採用され、ハリスのミシシッピー号に同乗して神奈川に帰着する。帰国後、激動する時代に最初の邦字新聞「海外新聞」(元治元-慶応2年)を刊行。明治新政府の大蔵省出仕、実業に従事等の活躍を経て、明治3年、60才で没。青山外人墓地に「浄世夫之墓」がある。死の2年前に英文の自伝“The narrative of a Japanese.”2vols.を出版している。 2巻 ジョセフ彦 文久3年(1863)序刊 半二冊」
文庫名
東京誌料
請求記号
4716-5-2/東4716-005-002
資料コード
4300959924
製作者
東京都立図書館
画像の使用条件
パブリックドメイン (詳しくは「
画像の使用について
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本資料のURL
/da/detail?tilcod=0000000005-00246837
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