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カテゴリ
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/和漢書
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書名
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江戸名所圖會(目録首)【画像は挿図のみ公開中】
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エド メイショ ズエ
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東都名所図会(見返し),江戸名所図會(題簽),江戸名所圖繪(第10冊奥付)
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トウト メイショ ズエ,エド メイショ ズエ, エド メイショ ズエ
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著者
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松濤軒齋藤長秋(斎藤幸雄)∥編輯
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ショウトウケン サイトウ チョウシュウ(サイトウ ユキオ)
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長谷川雪旦∥図画,藤原縣麻呂(斎藤幸孝)∥校正,[斎藤]月岑(斎藤幸成)∥校正
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ハセガワ セッタン,フジワラ アガタマロ(サイトウ ユキタカ),サイトウ ゲッシン(サイトウ ユキナリ)
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出版地
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江戸
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版元(出版者)
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須原屋茂兵衛,須原屋伊八[ほか]
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出版年・書写年
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天保5年
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出版年・書写年(西暦)
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1834年
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巻冊
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第1巻天樞之部[上];第1冊;7巻20冊
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大きさ(cm)
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26.1×17.6cm
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判型
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大
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和漢書種別
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その他
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分類
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総記/郷土資料(東京)/////
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書誌注記
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【掲載画像】(1)表紙、(2)見返し序1オ、(3)凡例2ウ目録1オ、(4)1ウ2オ「日本武尊秩父岩倉山に武器を収給ふ圖」、(5)3ウ4オ「江戸東南の市街より内海を望む圖」、(6)5ウ6オ「元旦諸侯登城之圖」、(7)11ウ12オ「八見橋」、(8)13ウ14オ「日本橋」、(9)14ウ15オ「日本橋 魚市」、(10)16ウ17オ「駿河町 三井呉服店」、(11)17ウ18オ「本町 藥種店」、(12)18ウ19オ「大傳馬町 木綿店」、(13)19ウ20オ「祗園會 大傳馬町御旅所」、(14)20ウ21オ「小舟町 祗園會 御旅所」、(15)21ウ22オ「堀留」、(16)22ウ23オ「伊勢町河岸通 米河岸 塩河岸」、(17)23ウ24オ「十軒店 雛市」、(18)25ウ26オ「今川橋」、(19)26ウ27オ「主水井」、(20)27ウ28オ「下駄新道」、(21)28ウ29オ「鎌倉町 豊島屋酒店」、(22)29ウ30オ「護寺院原」、(23)30ウ31オ「飯田町 中坂 九段坂」、(24)31ウ32オ「御茶の水 水道橋 神田上水懸樋」、(25)32ウ33オ「三崎稲荷社」、(26)34ウ35オ「筋違八ッ小路」、(27)35ウ36オ「藍染川」、(28)36ウ37オ「於玉が池の古事」、(29)37ウ38オ「弁慶橋」、(30)38ウ39オ「柳原堤」、(31)39ウ40オ「辨慶橋之圖」「馬場」、(32)40ウ41オ「馬喰町馬場」、(33)41ウ42オ「錦繪」、(34)42ウ43オ「薬研堀」;明治26年版もあり;;;;巻之一から巻之三(第1冊から第10冊)は天保5年、巻之四から巻之七(第11冊から第20冊)は天保7年に刊行;;;;;;|//////////////|/
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資料解説
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2018文化財ウィーク展示資料解説p.4(19)「江戸神田の名主(なぬし)だった斎藤家3代のあるじが約40年かけて完成させた、江戸およびその近郊を絵入で紹介した地誌です。神社・仏閣・名所・旧跡の沿革や由来を、現地調査をした資料をもとに記述しています。この場面は日本橋を描いており、手前は「日に千両」が動くといわれた魚市場です。橋の上の無数の人々や、川を行き交う船などが描かれ、当時の賑わいが伝わってきます。(Guide to Famous Spots of Edo)This is an illustrated chishi (guidebook) covering Edo and nearby areas, completed after around 40 years by the third head of the Saitō household who was the village headman of Kanda in Edo. This is a picture of Nihonbashi, and it portraying the hustle and bustle of the time.」,大規模企画展2012(62) 「『江戸名所図会』は神田雉子町の名主であった斎藤家が、幸雄(長秋)・幸孝(県麻呂・莞斎)・幸成(月岑)の父子3代にわたり、寛政年間(1789-1801))から天保7年(1836)に及ぶ40年余の歳月をかけて完成した絵入りの地誌で、7巻20冊からなる、もっとも有名な江戸案内書です。江戸とその近郊を含み、神社・仏閣・名所・旧跡の沿革や由来を、現地調査をした資料をもとに記述しています。現地調査をした際の原資料は、都立中央図書館でも多数所蔵しています。編集については北斗七星にならって七巻に配したということですが、そのため非常に探しにくい配置になっています。挿絵は長谷川雪旦が描いていますが、曲亭馬琴が「江戸名所図会はその功、編者は四分にしてその妙は画にあり」と評しているように、挿絵に対する評価の高い図会です。今回は700枚を超える挿絵の中から70枚を選んでデジタル化しました。名所案内のベストセラーを、デジタル画像でお楽しみください。」/文化財ウィーク2003(12)「官撰の地誌以外で最高の水準と最大の規模をもつ江戸地誌。内容は江戸を中心に郊外にも及んでいる。編集は神田の名主齋藤家による。祖父幸雄が寛政年間一応完成し、刊行の許可も取り付けていたが、その死により延期となったのを、その子幸孝と孫幸成がさらに校訂を加えて完成した。この間参考とした資料は莫大なもので、当館でも齋藤家の蔵書印のある資料を多く所蔵している。」 /『江戸地誌とその周辺』図録解説p.4「父祖3代約40年にわたる歳月を費やして編纂された。民間人の編纂による江戸時代の地誌のうち、その量において最たるものである。府内はもとより、近郊の杉田、金沢、向岡、府中百草、西新井、船橋辺までにも及んでいる。記事・挿絵は実地見聞に重きを置き、全体を7方面、7巻に分け、各々の巻に北斗七星の名を付している。長谷川雪旦による挿絵は精稠を極め、かの滝沢馬琴をして『異聞雑稿』中に「その功編者は四分にして、その妙は画にあり」とまでいわせている。『狂歌江戸名所図会』のような書名をまねたもの、『江戸近郊名勝一覧』のように本文をまねたものなど、後続の書に影響を及ぼしている。」/『江戸時代特別資料展』図録解説p.3、p.7「(p.3)官撰以外では最大の江戸の地誌。現在の千葉・埼玉などの近郊も加えてある。親子3代によって完成。雪旦の絵は風俗資料としても非常に価値がある。/(p.7)「江戸名所図会」は斉藤長秋、県麻呂、月岑の3代によって完成された最大規模の地誌である。長谷川雪旦の画によって風俗もよくあらわされ20冊のもの。」/『江戸の食べもの』図録解説p.6「慶長年間に開かれ、後に発展して代表的魚市場となった日本橋の様子を知るために、神田雉子町名主の斉藤家親子3代が『都名所図会』に範をとりながら四十余年の歳月を費して完成させ、官撰地誌以外で最高の水準と最大の規模を持つといわれる本書の巻1に拠った。「船町・小田原町・安針町等の間悉く鮮魚の肆(いちぐら)なり。遠近の浦々より海陸のけじめもなく、鱗魚をここに運送して、日夜に市をたてて甚賑へり」とある文と共に、画家雪旦の精密な挿画は当時のありさまをよく活写している。」/『江戸の夏』図録解説p.2「神田雉子町の名主斉藤幸雄(長秋)、幸孝(莞斎)、幸成(月岑)の親子3代が四十余年の歳月を費して完成させた江戸地誌の集大成。武蔵・江戸の名称から筆を起し、日本橋、神田、京橋、芝の地から下総の市川、中山及船橋まで及んでいる。記載は秋里籬島の『都名所図会』に範をとりつつ、社寺、古蹟、名勝の主なるものを採って項目とし現状を述べ由来を解き、考証にも力を注いでいる。又随所に雪旦の精密な挿絵を載せ、一層資料価値を増している。提示の図はお茶の水と両国。」/『古書錦絵展』図録解説p.13「親子三代にわたり、実地に調べ書き集めた江戸案内書の決定版。」
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文庫名
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加賀文庫
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請求記号
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加256-1/加00256-001
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資料コード
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4301205975
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製作者
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東京都立図書館
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画像の使用条件
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パブリックドメイン
(詳しくは「画像の使用について」を参照)
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