カテゴリ
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/浮世絵
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浮世絵種別
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その他の浮世絵
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画題等
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「東京名所之内」「銀座通煉瓦造鉄道馬車往復図」
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トウキョウ メイショ ノ ウチ ギンザドオリ レンガズクリ テツドウ バシャ オウフクズ
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絵師・落款
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出版地
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東京
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版元
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「出版人 日本橋通一町目十九番地 大倉孫兵エ」
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大倉孫兵衛
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出版年
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明治
15年
7月
1882年
7月
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画中文字
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「画工 南紺屋町二十七番地 安藤德兵エ」
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版種
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大判/錦絵/竪
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画の内容
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「東洋日報」「朝野新聞」の社屋あり
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分類
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文明開化////
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書誌注記
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;;;;;;;;;;;|//////////////|/
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資料解説
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『近代日本の夜明け』図録解説p.13「前図から約10年たった銀座の町並。空家の多かった煉瓦街も、この絵の描かれた頃にはほとんどふさがり、その後東京随一の繁華街に成長していった。外国から流れ込んでくる文物は、人々の生活様式、風俗を絶えず変えていったが、道路交通の変化もその1つである。江戸時代には市中の交通は、徒歩かせいぜい駕籠が基本であったが、新時代になって、馬車、人力車といった乗り物が人々の間に浸透し、明治15年には、幹線道路に鉄道馬車が走るようになった。この絵には、右上に枠で囲み、「東京馬車鉄道略則」として運賃や乗車のきまりなどの入っているものがある。出陳の絵は、それが削られている上、版面もだいぶ痛んでいるので、おそらく運賃などが変更されてからの後摺りである。画面右手前には東洋日報、左すみには朝野(ちょうや)新聞の社屋が描かれている。他の新聞社も多くはこの地に集まり、一時この町は新聞界の拠点でもあった。」
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件名
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歌川広重(3世)(ウタガワ ヒロシゲ)(1842-1894)
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文庫名
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東京誌料
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請求記号
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0422-C28/東C0422-C028
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資料コード
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4300517969
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製作者
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東京都立図書館
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画像の使用条件
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パブリックドメイン
(詳しくは「画像の使用について」を参照)
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