資料解説
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『子供の遊び』図録解説p.3「正月の遊びの光景で、羽根つき・手鞠、遠景に凧を描く。前景は歌麿の風俗絵本『四季の花』あたりを参考にしていそうである。羽子板については『下学集』(文安元,1444刊)が古い文献とされ、羽根は『世諺問答』(天文3,1544刊)によれば、幼い者が蚊にくわれぬまじないとしてムクロジの実を使って蜻蛉に擬した。このように厄除けの意味から江戸中期には、古式にならって極彩色で描いた左義長羽子板もみえ、化政期以後は押絵羽子板も用いられた。手鞠は蹴鞠から変わってきた遊びで、古くは武家の正月の手鞠会など見え、京伝の頃には女児の正月の遊びであった。立ってつく形態が古く、のちに膝まずいてつくようになったようだ。五色の糸でかがられた美しい鞠を手鞠唄を歌いながらつく遊びは羽根つきと共に女の子の遊びの中では数少ない体を動かす遊びとして歓迎されたであろう。3世豊国(天明6-元治元)は初代豊国の門人で、初め国貞と号し、五渡亭、香蝶楼を多く用い、弘化元年以降、師名を襲いで豊国を号した。長い作画期を通して多数の作品が知られており、当期の美人画・役者絵の第一人者であった。」,「正月の遊びの光景で、羽根つき、手鞠、遠景に凧揚げが描かれています。女の子の初正月に縁起物として羽子板を贈ったことから、正月遊びとして羽根突きが広まりました。当初の図柄は、正月の宮中行事の火祭りの風景が描かれていましたが、次第に花、鳥、人気役者の顔も絵になり、これを売り出す羽子板市が歳末に開かれるようになりました。(Event between the changing of seasons: January)This illustration shows the games that are played on New Year's Day, including battledore, handball, and kite flying in the distance. Battledores were given to girls on their first New Year's Day as good luck charms, which led to the popularity of the game at this time of the year. They were originally illustrated with scenes of the New Year's Day Fire Festival held in the Imperial Court, but they were gradually replaced by pictures of flowers, birds, and popular actors, and markets selling them were opened at the end of the year.」
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