カテゴリ
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/浮世絵
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浮世絵種別
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その他の浮世絵
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画題等
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「猿若町芝居之略図」
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サルワカマチ シバイ ノ リャクズ
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絵師・落款
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出版地
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江戸
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版元
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中野屋五郎右エ門、三河屋善治郎、文花堂庄三郎
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中野 五郎右衛門
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出版年
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天保13(1842)年10月頃
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改印等
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-
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版種
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大判/錦絵/竪
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分類
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芝居町絵図////
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上演年
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・
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上演場所
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書誌注記
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;;;;;;;;;;;|//////////////|/
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資料解説
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2013大規模企画展(4)「新たに芝居町となった猿若町の鳥瞰図です。櫓や幟が立ち並び、一大芝居町が形成されていることがわかります。この絵は天保の改革(1841-1843)により、中村座、市村座が移った直後に描かれた絵と推測されています。移転を余儀なくされた芝居関係者に依頼されて作成されたセールスプロモーションのようなものではないか、という説があります。」,2003文化財ウィーク(38)「江戸の芝居小屋は、官許の三座が、日本橋に近い堺町に中村座、葺屋町に市村座、少し離れて木挽町に森田座があった。しかし天保の改革により、当時まだ辺鄙だった浅草猿若町に強制移転が命じられた。天保13年中村・市村の両座及び人形浄瑠璃の薩摩座・結城座が、翌14年には森田座の控櫓河原崎座が移転、芝居茶屋などの関連施設も同時に移り、役者・芝居関係者はその周辺に住むことをになったので、ここに一大芝居町が形成された。図の右手3丁目部分、河原崎座の移転予定地が雲で隠されいることから、天保13年の刊行であろう。」,『第1回江戸資料展』図録解説p.28「天保に実施された水野忠邦の改革は、歌舞伎にも及び同13年、中村・市村両座類焼をきっかけに、市中風俗を改めるという理由から、200年来の興行地(葺屋町、木挽町)を引き払って辺鄙な猿若町へ移転を命じた。以後幕末から明治に及ぶまでこの地で興行を続けたわけである。本図は移転直後に、その報道のために刊行されたものらしい。時勢を繁栄して彩色ははなはだ節減されている。 」
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件名
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渓斎英泉(ケイサイ エイセン)(1791-1848)
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文庫名
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東京誌料
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請求記号
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575-C14/東C575-C014
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資料コード
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4300595661
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製作者
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東京都立図書館
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画像の使用条件
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パブリックドメイン
(詳しくは「画像の使用について」を参照)
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