カテゴリ
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/江戸城
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資料群
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重要文化財
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題名
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御本丸御表方惣絵図
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ゴホンマル オンオモテカタ ソウエズ
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御本丸御表方惣絵図
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数量
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1舗
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大きさ(cm)
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97.5×138cm
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縮尺
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縮尺1:200
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造営年度
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万治度
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建築区分
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図面種類
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平面図
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奥書印記等
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小屋敷御用写図 享保五子歳(本紙端裏) 天保三壬辰年六月調之(袋書)
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書誌注記
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画像には分割図、めくりあり;;;;;;;;;;;|//////////////|/
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資料解説
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2024文化財ウィークp.4(9),2013文化財ウィーク(28)「明暦の大火後に創建された万治度の建物に手を加えた後の図面とされています。中奥の御座の間付近には、御殿造営後に増築されたと思われる華麗な御休息や御小座敷の取り壊しを指示する掛紙があります。享保の改革を推進した八代将軍吉宗はこれらを取り壊し、廊下に移り住んだという記録があり、これに対応する改造とみられています。(Layout of the Front and Central of Honmaru Main Keep)This is a plan of modifications to the buildings first constructed in the Manji period (1658-1661) following the Great Fire of Meireki in 1657. Attached to the plan is a short memo with directions for the dismantling of the ornate okozashiki (Shōgun's living room) and gokyūsokunoma (room for state of affairs as well as the Shōgun's daily life), which were thought to have been added adjacent to the gozanoma (Shōgun's office) in the Central Palace after the Honmaru Main Keep had been constructed. This renovation is thought to be in response to a move by the eighth Shōgun Yoshimune. As part of his Kyōhō reforms, Yoshimune is reported to have dismantled these rooms and moved to reside in the corridors instead.」,2007文化財ウィーク(9)「本図の袋書には「天保三壬辰年六月調之」とあり、天保3年(1832)に描かれたとされる。裏端書の「小屋敷御用写図」「享保五子歳」の記述などから、享保5年(1720)当時の本丸御殿表・中奥の平面図と見られる。右上部貼紙は、享保元年(1715)に行われた改造箇所を示しており、めくると地震の間にも改造が加えられたことがわかる。」,2005文化財ウィーク(14)「万治2年(1659)に建てられた本丸御殿表・中奥の平面を天保3年(1832)に描いた図面です。中奥西側の御座之間周辺に貼り紙が見られます。享保元年(1716)将軍についた8代吉宗は、将軍の住居である御休息之間が華美であるのを嫌い、御休息之間の取り壊しを指示しました。貼り紙は、この改造を表していると言われています。」
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文庫名
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東京誌料
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請求記号
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616-37/東616-037
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資料コード
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4300026970
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製作者
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東京都立図書館
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画像の使用条件
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パブリックドメイン
(詳しくは「画像の使用について」を参照)
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