カテゴリ /江戸城
資料群 重要文化財
題名
江戸城御吹上総絵図  
エドジョウ オフキアゲ ソウエズ  
江戸城御吹上総絵図  
江戸城御吹上総絵図  
書写
数量 1舗
大きさ(cm) 91.5×170cm
造営年度 文化度
建築区分
吹上  
全体  
図面種類 平面図
奥書印記等 御作事方大棟梁甲良筑前棟村控 文化二乙丑年二月 万延元庚申年御普請絵図
書誌注記 ;;;;;;;;;;;|//////////////|/
資料解説 2023文化財ウィーク展示資料解説p.6(18)「江戸城の庭園である吹上の図です。明暦3年(1657)の大火までは、御三家をはじめ武家屋敷が建ち並んでいました。大火後、武家屋敷は城外に移転させられ、火除け地となり庭園として整備されていきました。園内には、花壇、馬場や茶屋などが配置され、図の右下にある上覧所では将軍たちによる祭りや武術の上覧が行われました。また、花見などの様々な行事の場所としても利用されました。(Overview of the Fukiage Garden in Edo Castle)Fukiage was the Edo Castle garden. Its features included flowerbeds, horseriding grounds and a teahouse. In the bottom right of the map is the viewing area from which the Shōgun would observe festivals and demonstrations of martial arts.」,2022文化財ウィーク電子展示解説(9-13)「文化2年(1805)頃の吹上全体の図です。石垣、土手、建物などが彩色されています。朱色の線は水道の樋が通っている道筋を表しています。図には梅林や馬場の他、茶屋や腰掛等の建物の書き込みがあります。(Pictorial Overview of Fukiage Garden in Edo Castle) This is a diagram of the Fukiage Garden in its entirety around 1805, including buildings, waterways, and other features. 」,2019文化財ウィーク展示資料解説p.2(3)「江戸城の吹上御庭、現在の吹上御苑の絵図です。初期のころは尾張・紀伊・水戸の御三家をはじめ、多くの武家屋敷が設けられていました。明暦3年(1657)の大火以降、防火の見地からこれらの武家屋敷はすべて江戸城郭外に移され、吹上はしだいに広大な庭園として整備されました。天皇の代始めの儀式として実施される大嘗祭は、これまで京都御所で実施されていましたが、明治の大嘗祭は皇居の吹上御苑に大嘗宮が造営され、ここで行われました。(Overview of Fukiage)This is an illustration of the Fukiage Garden of Edo Castle, which today is owned by the imperial family. In the early Edo era many samurai residences were located here, but these were all moved outside the Edo Castle precinct as a fire prevention measure, and Fukiage was gradually developed into a spacious garden precinct. The daijōkyū buildings used for the daijōsai ceremony upon the accession of the Meiji Emperor were located here in the Fukiage Garden.」,2015文化財ウィーク『江戸城から明治宮殿へ』図録p.3「江戸城の吹上御庭、現在の吹上御苑の絵図です。もとは、多くの寺院があったところですが、家康は寺院を移転させ、御三家を初めとする武家地としました。明暦の大火(1657)後、武家屋敷はすべて城外に移されて空地(火よけ地)となっていましたが、宝永2年(1705)以降、庭園として整備されていきました。将軍が公事裁許や武術・相撲などを上覧する場所があり、茶屋や梅林などの施設も設けられました。明治になると一時期荒廃しますが、明治宮殿造営にあたり、大修理が加えられ、大正時代に整備が完了します。現在は御所、賢所・皇霊殿・神殿の宮中3殿、生物学御研究所などの建物や、日本庭園等があります。森は、江戸時代の植栽や自然に発生した樹木が生かされた、自然のままの森となっています。This is an illustrated map of Edo Castle's Fukiage Garden. The garden still exists today. The area originally housed numerous Buddhist temples, but the founder of the Tokugawa Shogunate, Ieyasu, had these temples relocated to make way for residences for high-ranking Daimyo including three families related directly to the Shogun. Following the Great Fire of Meireki in 1657, the residences were relocated outside the castle precinct and the area was left empty as a fire buffer zone for several years. Construction of the garden began in 1705, and the area remains an oasis of greenery to this day.」,2013文化財ウィーク(11)「吹上のお庭には、初期のころは尾張・紀伊・水戸の御三家をはじめ、親藩・譜代大名の邸宅が設けられていました。明暦の大火以降は、この地の武家屋敷はすべて江戸城郭外に移され、庭として造成し、防火のための火除地とされました。絵図の中に赤い線が通っていますが、水道の樋が通っている道筋を示しています。」,2005文化財ウィーク(25)「吹上全体を描いた図と北東部・滝見池付近の図です。苑内中央に広い芝庭と大池、南北に池があり、その周囲に御茶屋が建っています。各所に馬場、鉄砲場、花壇等が配置され、図右下には上覧所、吹上役所等の建物が見えます。上覧所では、将軍が天下祭や相撲を観覧しました。水道樋・石垣・門等は色分けして描いています。滝見池付近は水道樋の道筋を示す図です。この辺りは土地の高低差を利用して逆サイホン式で水を運んでいました。」,『第1回江戸資料展』図録解説p.14「「本図者吹上御奉行ヨリ借用之写」とある。江戸城創建当初は防備のために御三家等を入れてあったが、明暦大火で大名屋敷は面積に比して人数が少なく防火上適切でないと判断して、武家屋敷を城外に出して火除地をかねた庭園とした。」
文庫名 東京誌料
請求記号 6153-1/東6153-001
資料コード 4300026451
製作者 東京都立図書館
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本資料のURL

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