資料解説
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2022文化財ウィーク電子展示解説「(9-1)「18世紀前半の江戸城の内郭が描かれた絵図です。本丸や西丸などの御殿のほか、将軍の霊廟や書物蔵があった紅葉山なども描かれています。本丸などの御殿は、表と大奥が色分けされています。また、堀や土手も彩色されています。(Pictorial Map of Edo Castle)This is an illustration of the grounds of Edo Castle in the early 18th century. It shows the Honmaru and other palaces, gardens, and other zones.」,2021文化財ウィーク電子展示資料解説p.12(32)「18世紀初期の江戸城のほぼ全域が描かれた図です。建物の内部の表御殿、大奥御殿、堀や土手は色わけされています。右中央の「御本丸」は、最も重要な御殿であり、政庁で将軍の住居です。左中央の「西丸」は前将軍や世継の住居で、本丸が焼失した際の仮御殿となりました。また、紅葉山には歴代将軍の霊廟などがありました。(Illustrated Map of the Castle in Edo)This is a plan of almost the whole area of Edo Castle in the early 18th century. The Omote Palace, Inner Palaces, moats, embankments and other features are shown in contrasting colors. The Honmaru Palace in the center right of the map was the most important palace in the castle complex, serving as both the seat of government and the residence of the Shogun. In the center left is the Nishinomaru Palace, which was home to the previous Shogun and heir, and was used as the main palace temporarily after the Honmaru Palace was destroyed by fire. The Momijiyama, located between the Honmaru and the Nishinomaru Palaces, included the mausoleum of prior Shoguns.」,2013文化財ウィーク(7)「本丸、二の丸、三の丸、西の丸、紅葉山など、吹上の御庭を除く江戸城内のほぼ全域を描いた絵図です。本丸・二の丸・西の丸御殿は、黄色(表・中奥)とピンク(大奥)の色分けにより、表御殿と大奥御殿からなっていることがわかります。18世紀初期の城内を描いた図と考えられています。(Illustration of Edo Castle)This is an illustration of Edo Castle in almost its entirety showing the Honmaru, Ninomaru, San'nomaru, Nishinomaru, Momijiyama, etc., with the exception of the Fukiage Gardens. You can see that the Honmaru, Ninomaru and Nishinomaru Goten(palace) have been color coded with yellow and pink, showing that they were divided into the Omote Goten (great outer palace) and the Ōoku Goten (great interior palace). It is believed to be an illustration showing the inside of the castle around the start of the 18th century.」,2008文化財ウィークリーフレットp.1「18世紀初期の江戸城の構成を描いているとされる絵図。本丸・西の丸・二の丸は表と大奥に分かれていたが、本図でもこの三つの御殿は表と大奥とで色分けされている。奥書の「御作事方大棟梁甲良若狭控」の若狭は、享保20年(1735)に没した棟利と考えられている。」,2007文化財ウィーク(8)「吹上御庭と北の丸区域を欠くが、江戸城内郭全体を表す絵図。左下凡例のように、堀、土手、表御殿、大奥御殿が彩色で色分けされている。図の右手には幕府の政庁、将軍の住まいである本丸御殿、左手には引退した将軍や世継の暮らす西の丸御殿が位置している。中央の紅葉山には、歴代将軍の霊廟がある。」,2003文化財ウィーク(66)「18世紀初頭の内郭ほぼ全域を描いた図。右手中央に本丸、その下に二ノ丸、三ノ丸、本丸の上に紅葉山、その下に西丸を描く。西丸の上に吹上、本丸の右上に北丸を加えると内郭全体となる。内郭のみで約30万坪、他城郭を上回る規模である。表御殿は黄、奥御殿は薄紅、堀は水色に塗り分ける。紅葉山には、東照宮はじめ歴代将軍の霊廟があった。当図は、6代文昭院(家宣1663-1712)霊廟までを描く。」,1999文化財ウィークリーフレットp.1「江戸城内郭を中心に描いた図で、右手中央に本丸、その下に二丸、三丸があり本丸のすぐ上が紅葉山、その左が西丸である。三丸以外の御殿は彩色による区分で表御殿と奥御殿から成っているいることがわかる。図の中ほどにある紅葉山には東照宮をはじめとする歴代将軍の霊廟があり、正徳4年(1714)造営の6代将軍文昭院霊廟まで描かれている。奥書にある「御作事方大棟梁甲良若狭控」の若狭は享保20年(1735)に没した棟利であろう。18世紀初期の江戸城内を描いた図と考えられる。」,『江戸時代特別資料展』図録解説p.5、p.10「(p.5)家康入城後、天正19年に応急修理、文禄2年西丸造営、慶長9年増築、寛永12年外曲輪を造営して完成した。甲良若狭は享保年間と天保―幕末にかけてと2人いるが、この図は幕末の方らしい。よって弘化か万延頃のものと思われる。,(p.10)江戸城の各図は御造営にあたっていた大棟梁甲良家の文書である。江戸城は度重なる火災により数回改築されており、文久3年(1863)の御本丸改築、元治元年(1864)西丸仮御殿の改築で終わる。」
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