資料解説
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『双六』図録解説p.11「凌雲閣は俗に十二階と呼ばれ、東京一の高楼として錦絵・双六・絵ハガキなどによくとりあげられた名所である。英国人バルトンの設計により、10階までは煉瓦造りの八角塔、11・12階は木造で、螺旋階段の他日本最初のエレベーターも設備されていた。開場は明治23年11月13日であるから、この双六はまもなく刊行されたものであろう。また左上には仕掛があり、この紙をめくると、この人物が落下傘で降りてくる姿が描かれている。同月24日、英国人スペンサーが上野公園で風船乗りを興行し話題となったが、それにヒントを得たものかもしれない。」,『明治前期の東京』図録解説p.29「英人ウイリアム・K・バルトンの設計に基づき、明治23年11月に落成開場した凌雲閣俗称十二階は、浅草の名物となり、錦絵の題材となった。図はその1つで、各階の窓が双六の1コマになっている。左上部に気球乗りの絵が、かわり絵でめくるようになっている。この建物は大正12年の大震災で破損し、取りこわされた。」,特別コレクション39-10「時代が明治に移っても、錦絵や双六は盛んに刊行されている。これは、一見双六とは気付かないような浅草凌雲閣の絵である。この建物は俗に「十二階」と呼ばれ、東京一の高楼として錦絵・双六・絵ハガキなどによくとりあげられた名所であった。英国人バルトンの設計により、10階までは煉瓦造りの八角塔、11・12階は木造で、螺旋階段の他日本最初のエレベーターも設備されていた。開場は明治23年11月13日であるから、この双六はまもなく刊行されたものであろう。また左上には仕掛があり、この紙をめくると、この人物が落下傘で降りてくる姿が描かれている。同月24日、英国人スペンサーが上野公園で風船乗りを興行し話題となったが、それにヒントを得たのであろう。(Sugoroku (type of board game) in which players climb Ryōunkaku, a tall building in Asakusa Park)Nishikie (color-printed ukiyoe woodblock print) and sugoroku continued being published in large numbers even upon entering the Meiji Period. This is an illustration of Ryōunkaku in Asakusa, which at a glance may not seem like a sugoroku. This building was often referred to as "Jūnikai," and it was renowned as the tallest building in Tokyo and often depicted in nishikie, sugoroku and picture postcards. Designed by the Englishman, Burton, it was made of bricks with an octagonal shape up to the 10th floor, and the 11th and 12th floors were made of wood with a spiral staircase. It also had Japan's first elevator. It was opened on November 13, 1890, so this sugoroku was probably published soon after that. In the top left hand corner is a piece of paper, which when turned over shows the man with the parachute descending. On the 24th of the same month, an Englishman, Spencer, jumped from a hot air balloon with a parachute in Ueno Park creating news. So this illustration was probably inspired by that incident.」
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